悪者探し

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自分は大分遅く、大人になってから、自分の映画の見方の貧しさに気付きました。
それまで自分は映画を、子供な見方でしか観る事が出来ませんでした。

ここで言う子供な見方というのは、映画を観る時、誰が良い人で、誰が悪い人なのかを無意識に探し始めてしまう行為です。

子供と言うのは、何が良い事で、何が悪い事なのかがまだよく判らないため、“正義の味方モノ”など、子供番組を通じて判り易く教えられて覚えていくのだと思います(勿論、そこだけで教育されているわけではありませんが)。だから子供のうちはそういう見方をするのは当然なのですが、判断のつく大人になってからも、そんな見方でしか自分は出来ないでいました。

こういう見方でしか出来ないでいると、例えば…ジュリエット・ビノシュ主演の「嵐が丘」でストーリーを追っていくと…ヒースクリフは実は悪い人なのか…と思ったら、やっぱりいい人なんだ…と思い、あれ?やっぱりやなやつだ…いや、いいやつだ…などと、ストーリーを追うごとに振り回されてしまう羽目になります(笑)
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自分がそんな自分の映画の見方の貧しさに気付くきっかけになったのが、デヴィッド・リンチの作品を観てからでした。彼の作品のほとんどは、誰が悪者なのかは重要ではありません。いや、悪者としての存在は重要な要素にはあるけれど、それが否定/肯定の対象として捉えるのは、ここでは意味が無くなるのです。
自分はここで、たたみ掛ける様なテンポの気持ち良さを覚えましたし、夢を観ている時と同じ様な感覚も味わいました。

見る夢でたまに、わけ判んない時ってありますよね。なんでそれがそうなるんだ?って。でもそれって目が覚めてから思う事であって、見ている間は不思議に思う事なんて、まずありませんよね。映画もそうで、見ている間は何も現実の常識のつじつまに合わせる必要はなく、その世界に身を委ねればいいわけです。だから悪者探しなんて、現実の常識から生まれた尺度で追いかけるだけなんだから、ここでは関係なくなるんです。勿論、そこがとても重要になってくる物語はたくさんありますし、作品にもよるのですが、何もそういう見方だけが全てではないと言う話です。

それからです。自分にも、色や、空気や、テンポなど、いろんな見方で映画を観れる様になり、映画って面白いんだと思える様になったのは。

子供のうちから、そういったいろんな見方の出来た、柔軟な頭を持った方は大勢いるとは思いますが、自分は残念ながらそうではありませんでした。

またこの「悪者探し」なんですけれど、“悪者”という立場は、映画を観る側にとって感情の“敵”に回るのが普通だと思うのですが、そこから、「誰が味方で、誰が敵か」の“敵探し”に変換する事も出来ると思うんです。子供な見方でしか出来なかった自分は、私生活でも初対面の人に対して「この人は自分にとって敵なのか、味方なのか」と、無意識に心の中で思っていた節があったようにも思います。今はその辺、柔軟になったつもりではいますが。

今回、なんでこんな今更判りきった話を始めたのかと言うと、前回の「むじな」と「すくらっぷ」の頁で、「誰がしたのか」だけでなく「何でそうなったのか」にも目を向けると書いた時に、同じ“見方”から、ふと、この事を思い出したからです。
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