音楽がいくらあっても足りない。

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自転車ロードレースの最高峰の一つ「ジロ・デ・イタリア」が行われているこの3週間、1日に3~4時間TV中継されるその“高容量”を消費するのになかなかリアルタイムで追っていけず、かといって見逃したくはないため録画をするのですが、その容量は日々蓄積され益々リアルタイムに追いつくのが遠ざかっていきます(汗)。

なので、レース結果を知ってしまわない様自転車ロードレースの情報を遮断するわけなのですが、幸い、日本では自転車ロードレースの人気が低いため(低いことが幸いなのではなく)、自ら情報を探しに行かなければたまたま結果を知ってしまうなんてことは滅多に起こらず助かっています。

しかし、ツイッターで自分がフォローしている人の中には自転車ロードレースの結果をつぶやいていたりもするので、このツイッターはしばらく封印せざるをえなくなりました。

ツイッターは自らはつぶやかなくてもタイムラインはしょっちゅうチェックしているので、しばらく見ないとなると不便に感じると思っていたのですが、これが意外と見なければ見ないでそうでもありませんでした。

それで分かったことが、ネットで手軽に情報が得られる様になった近年、口がさみしいから煙草を吸うかのごとく、日々無意識のうちに無駄に大量の”情報”を消費しているだけな所もあるのだなと。

要するに、気になる(と思い込んでいる)それらの情報って、本当に必要なのか考えてみると、意外とそうでもなかったりするものもあるのかなと。

じゃあなんで人は毎日そんな大量に情報を欲しがるのかというと、先程「口がさみしいから煙草を吸う」と喩えましたが、何か気持ちの隙間の様なもの(というか隙間の気持ち)を情報で埋めているからなのかもしれません。そういう意味ではその情報は必要なもので役に立っているのかもしれませんが、じゃあ情報が少なかった昔はどうやってその辺の隙間を満たしていたのか、思い出せません。

それと、玉石混淆なネットの情報を常にウォッチしていないと、いつ“玉”に当たるか分からないから、それを逃さないためにひたすら消費しているというのもありますね。

いずれにせよ、無駄な情報に埋もれるななどと言うつもりはありませんが、知りたいという気持ちが苦痛に思えてきたり、本当に欲しい情報が分からなくなってきたら、普段消費している大量の情報を一度見直してみる、もしくは距離を置いてみるのもいいのかもしれませんね。



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