音楽がいくらあっても足りない。

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戦後の日本復興の陰の立役者の一人でもあり、GHQにも物怖じせず堂々と意見を述べ「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめ、また日本で最初にジーンズを履いたとしても知られるダンディでカッコイイ男、白州次郎の生涯を描いたドラマが今度NHKで放送されるそうですね。

番組のウェブサイトを覗いてみたら、音楽担当にあの大友良英の名前が。これまでも映画音楽は幾つか手がけてきたことのある大友氏だからこれはまだ頷けたのですが、挿入歌の一つにフレッド・フリスの名がクレジットされていたことにはビックリ。英国詩人、ルパート・ブルックの代表的な詩に曲をつけた様なのですが、これが書き下ろしの曲なのか既成曲なのかは沢山既存するフレッド・フリス作品を全部は聴いたことがないので自分にはちょっと判りません。

NHKテレビからフレッド・フリスの曲が流れる日が来るなんて…

[追記]2009.02.28

大友良英氏のブログに、フレッド・フリスの曲は書き下ろしだと書いてありましたね。
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この前家にあるDATのテープを整理していたら、エキスポの、オムニバスCDなどに散在する曲を編集したテープをみつけたのでつい聞き入っていたんですけれど、その中にテレビ番組から録音した曲も入れてあって、聴いているうちに無性に映像の方も観たくなり、ためしにウェブで検索してみたら…ありました!

その番組は「TV's TV」と言って、87年のとある深夜にひそかに放送され、100個のテレビの中から1つずつ映像を断片的に次々とただひたすら4時間流し続けるという変わった内容でした。当時偶然チャンネルを合わせた自分は、その面白さに思わず空いてるビデオテープを探して急いで録画ボタンに手をやるほどでした。
その100のテレビには、当時まだ珍しかったCGや海外アジアのテレビ番組、ビデオゲーム、ビデオアート、環境映像、ミュージックビデオ、今でいうgoogle earth的な映像だったりとか(Power of Ten)、元祖モーフィング的な映像とか(ゴドレー&クレームの「クライ」)、アルゴリズム体操の元ネタみたいなものもあったり(ノーマン・マクラレンの「カノン」)、フラクタルの映像など様々なものが映し出されていました。
映像だけではなく、音楽にも耳を奪われ、幾度と表示される「MUSIC by EXPO」の文字にも興味をそそられ、それが後にあの「エキスポ」だったことを雑誌「Techii」で知りました。

その「TV's TV」がニコニコ動画にアップされていることを今更知ったわけです。
当時録画したビデオは引っ越しを繰り返す中なくしてしまっていたので、こうしてまた観れるのはとても嬉しいです。
また、当時この放送を自分は途中から観たので、最初から観れるのも感激です。エキスポの「赤ちゃんコンクール」がオープニングの方で使われていたんですね。

全部で4時間程ありますが、今でも観だすと止まらなくなりつい最後まで見入ってしまいます。

エンディングのクレジットを今見ると岩井俊雄なんかも名を連ねていたことに気づいて、そうかなるほど、「ウゴウゴルーガ」のテレビくんだ!と納得。



2月18日は自分の気になるアーティストのCDリリースが幾つか重なった日でした。

近年の平沢進の作品は「白虎夜の娘」の様な好きな曲もあるのですが、彼自身に音楽に対する「悟り」を感じてしまい、昔の様な「探求」が感じられないので、この日リリースの新作「点呼する惑星」は未だに手を伸ばす気にはなりません。ただ、「点呼する惑星」とか相変わらずの言葉選びのセンスの良さには惹かれるものがあります。

新谷さんのニューアルバム「MARCHING MONSTER」は…作品がどうのこうの以前に彼女自身が好きなわけだから、そりゃぁ買いましたよ。

そんな中でも、この日リリースされたTPOの「TPO1」は、リリース予定のアナウンスを知ってから最も待ち遠しかったアルバムで、フラゲしました。

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自分は子供の頃YMOをはじめとするシンセサイザー/電子楽器を駆使した音楽を好んで聴いていたのですが、当時「TPO」の存在は知らなく、入手困難だった今日まで聴く機会を逃していました。
分厚くて読み応えのある、日本の電子“音楽”立国の軌跡をひも解いた本「電子音楽 in Japan」にはTPOの活動秘話が記されていて、そこからメンバーの安西氏があの「うる星やつら」の音楽を手がけた人物と知り、アニメの後ろに流れるシンセサイザーサウンドにインパクトを覚えた当時を思い出しましたし、メンバーの天野氏はつくば博のパビリオンの一つ「鉄鋼館」の音楽を担当した人物ということで、当時つくば博が大好きで何度も足を運んだ自分は、クラス内でも評判の高かった「鉄鋼館」へ何度も入って迫力のある音と映像に感動した思い出がよみがえりました。ちなみに、安西氏が音楽を担当したNEC館は大人気のパビリオンでなかなか入れず、最終日に夜中からゲートの前で並んでいた後輩に割り込んでやっと観ることが出来た思い出があります。そんな彼らが活動していたTPOの存在をこの本で詳しく知り、ぜひ聴いてみたいと思っていました。

「フェアライトCMIを日本で最初に操ったグループ」と紹介されているのですが、同じフェアライトを駆使したアーティストで知られるアート・オヴ・ノイズは、(結果的なのかもしれませんが)それをローファイな所までも活かし使い倒した印象を受けるのに対し、こちらは、曲作りのための一つのツールとして使っている印象を受けます。言い変えるならば、上手くそれを利用はしても依存はしていないのではないかと。故に、アート・オヴ・ノイズほどフェアライトがなければこのバンドは存在しないとは思わされませんでした。なので最初はフェアライトについてもう少し詳しく注釈をつけた方がいいのではないだろうかと思いましたが、その必要もないのかもしれないと思い直しました。それにはライナーノーツを読む限りレコード会社からのリクエストとかいろんな事情から推測もさせられるのですが、そもそも自分が「フェアライトといえばアート・オヴ・ノイズのあの音」と勝手にイメージを確立してしまっている中に「日本のアート・オヴ・ノイズ」というお触れ込みから想像を膨らませてしまったのが原因なのかもしれません。でもそう思うと、当時のテクノロジー事情の中から、いかに最新機器を斬新に取り入れていたのかを今でも窺い知り得るのは、アート・オヴ・ノイズの様な機材のスペックの限界を逆手に取った様な使い方で、「TPO1」は、四半世紀を経てこうして耳にしても古くさくなくクオリティーの高さを感じさせる分、当時に聴かなければ伝わらない斬新さなんだなと思います。
それと、「TPO」というユニット名の由来が気になるんですけれど、その辺りはグループコンセプト/サウンドコンセプトに秘められているのかもしれませんが自分にはよくわかりませんでした。
小山田圭吾のラジオ番組のエンディングにも使われている「SUNDOG」を聴くと、同じピチカートを基調とし、犬の鳴き声がサンプリングで飛び交う服部克久の「音楽畑2」に収録されている「びっくりポルカ」を思い起こさせられます。そういえば、野菜や果物に電卓を突き刺すジャケットアートもどことなく音楽畑シリーズと似た雰囲気がありますし。
岩崎氏ヴォーカル曲は、こののちにリリースする彼のソロ作品にも通ずる彼らしい曲ですね。この勢いに乗って、岩崎ソロ作品もCD化してくれないだろうか。

収録曲「Camacho Preguicosa」は昔からよくテレビで耳にしたことがあるんですけれど、どこで使われていましたっけ?バラエティ?クイズ?CM?





TPOの発売記念トーク&サイン会の時に自分もサインをいただいてきました。
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TPOについての詳しい情報(メンバーの近況やコメントなども)が、こちらのブログでご覧いただけます↓

↑ここをチェックすれば、TPO周辺の最新情報も掴めるはず。
自分がこのブログを始める前に小野島大 著書の「音楽ライター養成講座」なる本を読んだことがありまして、いや、別に音楽ライターになりたかったからではなく、それまでろくに文章なんか書いたことのなかった自分が、ブログ(元々はホームページでやるつもりでした)という、公に読まれる場所で好きな音楽の話を書くのに少しでも恥をかかないためにという、浅はかな理由からでした。
なくせに、何が書いてあったのか忘れちゃって…(汗)その本はもう処分しちゃって手元にないから今読み返せないし。

ただ、書いてあった中で唯一憶えているのが、「嘘はつくな」ということ。要するに、聴いてもいない、調べもしないくせに、分かったふりをして書くなと。知らないと恥だからと思って知ったふりして書くのは薄っぺらでバレバレで逆に恥をかくんだなと、恥をかかないために読み始めた自分にとってその言葉だけは印象に残っています。一応それを教訓に、音楽的な知識に限らず、普段使い慣れている「言葉」も、勘違いした意味で思い込んでいないかネット辞書などでこまめにチェックするようにはしていますし、他にも、例えば「脱構築」なんて言葉も自分なんかが安易に使うと恥をかくから使わず…いや、本来ならば使わないんじゃなくて、使える様に勉強するべきなんですが…(汗)…っていうか、使う機会なんかないか(笑)。 

前に、パレ・シャンブルグの1stと、エトロン・フー・ルルーブランの4thには似たものを感じると書いた時に、共通点として、おそらくダダイスティックも当てはまるんじゃないかと思ったのですが、自分はダダイスムのことをよく分かっていないため、そこは回避せざるおえませんでした(苦笑)。

…って、前置きが長くなってしまいましたが、そんな本を思い出させる似たテーマの本を今読んでいます。

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先月聴きに行ったトークイベントの物販コーナーで購入した佐々木さんの本です(サインもらっとけばよかった)。…っていうか、買って一ヶ月以上も経ってんのにまだ読み終えていないっていう…(汗)
「本気で書きたい人のための『批評』入門!」なんてオビには書いてあるんですけれど、いや、これも別に自分は批評家を目指して購入したわけではなくて(そもそもそれだけが対象の本とは違いますし)、まあ、ブログ書く時に参考になればいいかな程度は思いますが、それよりも、彼の持っている「批評観」に興味があったからなんです。

以前このブログで彼の批評の話の一部を紹介した中に、「彼の書く解説そのものに作品的なものまで感じさせられた」と自分は書いたのですが、まさに彼はこの本で「批評っていうものも作品的な機能は持っているべきだ」と語っていて、やはりそうだったのかと思わず頷かされました。

映画批評についての章なんかは、読んでいると、映画の見方がこれから変わるかもって気にもさせられます…いや、違った見方が固定させられてしまうのではなく、むしろ広がる感じに。

そんな読み応えのある面白い本なんですけれど、なかなか読み進まなくって…。っていうのも自分、読んでいるうちに内容と共通する何か他のことが頭の中に浮かんでくると、そっちに気持ちがもっていかれて本から逸れちゃうことがちょくちょく起こってしまって…これの前のエントリで書いた「異なるイメージ」の話も、この本の中に「イメージのズレ」みたいなことが書いてあって、そこを読みながら「そういえば自分も日常で…」って浮かんできたことなんです。
そういえばこの前、テレビでドラマー、神保彰をクローズアップする番組が放送されていたので観たんですけれど、その中で、あんな神業なドラムを叩く神保氏がゲーム「太鼓の達人」には苦戦する様子が映し出されていて、これを観ていて思ったのが、あ~これもきっと「イメージ」なんだろうなぁと。どういうことかというと、彼の技術力を持ってすればそのゲームは難しいものでもなんでもなかったとは思うのですが、ただ、そのゲームに対応するための「イメージ」が彼の頭の中にフォーマットされていなかっただけのことじゃないのかなと。これがもし画面に彼の普段慣れ親しんでいる「音符」で表示されていたら、多分もっと簡単にこなせたんじゃないかと思います。

「ドラムっていうのは4本の手足がバラバラに動くので、元々頭の中にはそういう『回路』が出来ていないと思うんですよね。そういう『回路』をひとつひとつ繋げていくっていう作業だと思うんです。」
これは、神保氏が番組内で語った言葉です。

彼のいうその「回路」も、ドラムを叩くために必要とするひとつの「イメージ」ってことですよね。
自分はよくらくがきで職場にいる人の似顔絵を書いたりして(ちなみに、ウチの4コマまんがに出てくる有名人以外のキャラクターのほとんどはその似顔絵だったりします)、その時に「誰だか判る?」っていろんな人に見てもらうんだけれど、似てるって言う人もいれば、似てないって言う人もいたりで、同じ一つの似顔絵でも反応はいろいろ。これって例えば、Aは鼻に特徴があるなと思ってそこを特徴的に書いてみたんだけれど、見る人によっては、Aに対して鼻よりも眉毛に特徴的な印象を持っていたりするので、その絵を見ても似てるとは思えなかったりする。これと似た事で「あの人って、あの芸能人に似ているよね」「ええ~どこが~それだったらこっちの芸能人の方が似てなくない?」「ええ~そうか~」ってな会話。こういう時に思うのが、自分に見える対象物が他の人にはどう見えるのか一回その人に乗り移ってみたいな~って(笑)。要するに、自分に見えているものが、他の人にも同じふうに見えているとは限らない、いや、同じものが見えてはいるんだけれど、それによって頭の中で描かれるイメージは必ずしも同じではないってことですよね。それは人によって経験や環境や立場とかいろんな違いがから生じるものなんでしょうけれど。だからいろんな人の意見を聞くのって面白いんだと。

いや、何で今更こんな当たり前の話をしだしたのかっていうと、同じ「イメージの違い」ってことで、この前ドラムの練習をしている時に、改めてイメージって大事なんだなぁって思ったわけですよ。
っていうのは、ある一つのドラムパターンをずっと繰り返し叩く中、中途半端な所でフィルを入れることで、裏が表の様に、まるで違うフレーズを叩いているかの様に聞こえるドラムパターンを練習していた時に、それまでモタつかなかったはずの右足が、裏を表として頭の中でカウントし始めた途端にモタついてうまく叩けなかったんです。実際は同じフレーズを叩いているはずなのに。

この様に、頭の中で描いているイメージを変えると、出来ることが出来なくなってしまう場合がある。これって逆に言えば、ちょっと出来なかったことでも、イメージ(視点)を変えれば出来る場合だってあるってことですよね。「イメージトレーニング」っていう言葉がある様に、何もこれは楽器の演奏に限らず、スポーツや、その他仕事なんかにも当てはまることなんですけれど。

>>異なるイメージ~続き



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