音楽がいくらあっても足りない。

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今月の「好きなレコジャケ」は、ユニークなパーカッショニスト、デヴィッド・ヴァン・ティーゲムのアルバム「THESE THINGS HAPPEN」からシングルカットされた、タイトルナンバーの12インチ盤です。

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芝居か撮影用の小道具と思われるビール瓶を頭にぶつけているこの写真の輪郭をふち取ったイラストが、裏ジャケのすみにプリントされていたりもします。

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このシングル曲は3種類のミックスに「レッド」「イエロー」「ブルー」と、イラストと同じ色の名前が付けられています。

盤面のレーベルにもこのイラストが。

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デヴィッド・ヴァン・ティーゲムといえば、昔カセットテープのCMで、都会の建造物をスティック(マレット)でカタカタ叩いている様子が印象的でしたね。

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そのCMとは違いますが、同じパフォーマンスをしている動画(ジョン・サンボーンによる映像)がありましたので、ここに貼っておきます。

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J SPORTSで今年「パリ~ニース」がLIVEで放送されました。

今シーズンまだ始まったばかりの春先のステージレースなので、顔見せや現状の体の仕上がりを試す意味合いの持つ所もあるとはいえ、やはりプロのレース。白熱した展開をみせてくれました。

プロローグを制したミラーをはじめ、コロブネフ、ルイス・サンチェス、ヴァリャベッチ等、ここで活躍した選手が必ずしも今シーズンの今後に活躍を見せるとは限りませんが、それでもなんだか期待してしまいます。ちなみにイバン・マヨはこのレースではまだ頭角を現してはいませんでした(全ステージ見れていなかったので、よくわかりませんが)。ヴォクレールはしっかりと山岳賞を獲っていましたね。

レースは最終ステージの最後の1kmまで分りませんでしたから本当にハラハラモノでした。ディスカバリーに移籍したスペイン24歳の若者コンタドールがこのステージを逃げ切り、ベテランのクレヴァーな走りをみせるレベッリンからマイヨジョーヌをみごと奪い取りました。でもレベッリンの最後まで追走を諦めないベテランのがんばりを見ていて、彼に勝って欲しいとちょっと思ってしまいました。

それにしてもこのレースでのディスカバリーには強さを見せ付けられました。ポポヴィッチ、ライプハイマー、ダニエルソン等々。解説の市川さんは「四番打者ばかりいてもレースは勝てないでしょう」って言っていましたけれど、素人目で見てしまう自分からすると、あんな誰で行ってもおかしくないくらい強い走りをみせられてしまうと、今シーズンのこれからをつい期待してしまいます。

話は変わりますが、ドイツ人サイクリストのヤン・ウルリッヒの引退表明はショックでした。
自分の好きなライセカが引退を表明したのは、年齢的にもしょうがないと頷けるのですけれど、
ウルリッヒに関しては、彼にはまだツール・ド・フランスでやり残した事があると思うし、彼自身も決して満足しているとは思えないんです。どうしても不完全燃焼は拭えない。これもドーピング疑惑による周囲の裏切りも原因の一つにある様ですが。以前彼がインタビューで「(スキャンダルにより)誰が信用出来るのか否かが判った」と言っていたのが思い出されます。

友人が「パンターニ、ランス、ウルリッヒがいなくなり、自転車ロードレースの一つの時代が終焉を迎えた」と言っていたのがここにきて実感です。それだけにレベッリンの今回の走りには感慨深いものがありました…なんて勝手に重ねてしまっています。
極端なことを言えば、例えば女装だって(ちなみに自分は女装は趣味ではありません)。

そういう人達を拒絶する事は、ある種人種差別にも繋がると思うし。

別に価値を共有しろって言うんじゃなくて、そういう人もいるっていう“共存”です。

人種差別で思い出したけれど、自分が子供の頃「スターウォーズ」を見て、もしチューバッカが実在したら、怖くて近寄りたくないと思っていました。でも物語の中では、他の登場人物と不自然なく共存しているんですね。「機動戦士ガンダム」だって、(地球で云う所の)多国籍の人種が普通に共存しているんです。これらを見て、近未来というのは、人種差別を超えた世界なんだと、子供ながらになんとなく思っていました。思想差別はあるのかもしれないけれど。

話を戻します。

「人に迷惑をかけなければ…」と注釈していますが、もう一つ注釈があります。それは「社会に適応出来るのであれば」です。
ここでいう「社会に適応」は、夢中になれるものが社会に適応出来るのかでも、社会のシステムに組み込まれる事を言っているのでもなく、他者との共存で育まれる社会の事です。人は一人では生きられないからです。だからイヤなヤツとも共存しなければならない。辛い時もあるけれど。
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著名な方が大勢観に来ていたみたいで、ロビーでみんなしてケータイで写真をパシャパシャ撮っていたけれど、誰がいたのかよく分りませんでした。自分が分ったのは竹中直人くらいでした。

なんか客の年齢層高かったですね。みなさん会社の重役そうな風格で、若い頃ミカバンドを聴いて育ってきたんだろうなぁみたいな。

最近まともに生ドラムを叩いている姿を滅多に観れない高橋幸宏ですが、エレクトロニカな曲以外は全曲叩いていたのには驚きと感激を覚えました。桐島かれん期(以下、天晴)のライヴでもほとんど叩いていなかったのに。

若者が少なめだったから木村カエラ目当てのファンはあまりいなかったのかもしれないけれど(年輩でもファンはいるだろうけれど)、普段からカエラのバックで叩く柏倉(toe)のもの凄いドラムを聴いていると、幸宏のドラムは物足りなく感じてしまうのかもしれません。いや、でも幸宏のドラムはそういうのとは別物ですから。子供の頃から彼のリズムを聴いて育ってきた自分にとっては叩いてくれるだけでありがたいんです。

天晴からの曲は一曲も演りませんでした。MCでも初期の話ばかりしていましたので、あの頃は無かった事になっているのでしょうか?

それにしても、個人的には後藤次利のベースで「WA-KAH!CHICO」を演って欲しかった。でも今の幸宏氏にはこの曲叩くのは辛いだろうしなぁ…せめて「ファンキー MAHJANG」が聴きたかったなぁ(泣)竹中直人が観に来ていたんだから演ってくれてもよかったのに。

それにしても木村カエラは、ステージのみせ方を知っていますよね。

今回のミカバンドのライヴでPAが使用していたものと同じデジ卓



CDに付いている解説を読むのが自分は好きです。そこには、最初に聴いた時には気付かなかった発見などがあったりして、より深く音楽が楽しめる事が多いからです。だから洋楽アーティストなんかは、解説が読みたくて日本盤を買う事が自分は多いです。

ただ、オリジナルアルバムにアーティスト本人の解説が載るのは、自分は好ましく思いません。書かれている内容にもよるのですが、それが作品を聴くための注意書きの様になってしまい、聴く側の想像をそこで制限されてしまう恐れがあるからです。ましてやアーティスト自らの解説ともなると、大抵そのアーティストに興味があって聴くわけだから、影響力は大きいですし。だったらパッケージとは別な所にあった方がいい。せめて同じブックレットにはしない方がいいと思うんです。

ただこれも順序だと思うんです。作品を一度聴いてみて、より深く知りたくなった時に導き出してくれるのが解説だし、本人のコメントだと思うんです。要は音楽が先か、解説が先かの違いです。だからこれがもし企画盤、再編集盤の様に、一度発表されたものであれば、逆にあってもいいと思うんです。

勿論、アーティストに興味があって作品に触れる事がほとんどだから、作品に対してある程度の予備知識が欲しいのは当然ですし、自分だって知りたいと思います。しかし、あまり多くの情報を聴く前に収集してしまうと、前述の様になってしまうのが勿体ないんです。

まあ、聴く側がそこに何を求めるかで意見も違ってくるんでしょうけれど。

これがもし制作に関わった人以外の解説になると、ある程度想像で書いている事にもなるので、影響力が“参考”に変わるからそれは別にいいと思うんです。

尚、ここで言う解説は、プロフィールやバイオグラフィーは除外して話しています。
東京での初ホールという事なので、ストリングスとか、ホーンセクションとか、いつもよりも編成を拡大してくるのかと思いきや、逆に専属キーボードがいない位のシンプルな編成。その分、ロックなダイナミズムが前面に押し出たと解釈出来るかもしれませんが、ピンク・バンビ・バンド(新谷良子のバックバンド。以下PBB)のメンバーが変わった事による音の違いも少し感じました。

例えばドラム。これは「THE GREAT BAMBI POP SWINDLE」に付属のDVDに収録されている「ハートブレイカー」がヨコからタテにノリがいきなり変化する演奏を聴いた時から思った事なのですが、たっきーのドラムは、タテノリよりヨコノリの方がいいものもっているなぁと(ヨコっていっても、ファンクのノリじゃない方だから“ヨコ揺れ”って言った方がいいのかも)。しかしR・O・N君の書いた曲なんかは一曲の中で多様なノリを要求されるからそれにも対応しなければならないんだけれど、そつなくこなしていましたね。ライブで演った曲はCDでも実際に何曲か叩いますしね。まあそれ以前にプロだから当たり前か。

「空にとける虹と君の声」では、前半のドラムの音がCDと同じ風にローファイになっていましたね。メンバー紹介の「Pink Bambi Ragtime」では、良子ちゃんの歌声がちゃんと歪んでいたり、音の演出(エフェクト)も凝っていました。

それにしても…

これは多分、良子ちゃん本人もみんなに言われちゃうんだろうなぁと思っていたと思うんですけれど、今回のPBBのメンバーの中にまこっちゃんの名前が無かったのが残念でなりません。
彼のギターには“遊び心のある実験”があって、新谷良子の音楽に独特なスパイスとしてかくし味になっていたんです。そんな彼の事を自分は勝手に「ギターノイズ研究家」と呼んでいます(笑)。自分の様な趣味の音楽好きには、彼のギターはおいしいんですよね。あと、センセイの様な、ボトムから響くウネリがなかったのも寂しかった…
…って、あんまりこんな事ばかり言うと、新しいものを受け入れられない、頭の固いオヤジみたいで自分もいやだから、今後しばらく新メンバーで固定されるのであれば、期待の眼差しで見届けていこうと思っています。それにしても、新メンバーのベースのみっちゃんの髪型(アシンメトリー)を見ると、自分の世代には、ヒューマン・リーグのフィル・オーキーを思い出してしまうんですけれど。

ここまでバンドの話ばかりしてきましたが、主役の良子ちゃんはどうだったのかと言うと…
いやあ、明らかに前の良子とは違ってた。リラックスした中でライブの合間を駆け抜けていた様に見えました。客席を見渡す目の配り方から、全体に目が行き届く落ち着きが感じられました。客席をしっかり向いて歌う姿は、それだけ想いを伝える事に繋がっていったはずだし。これも3rdアルバムの制作で得た経験が彼女を変えたのでしょうか?歌に込めた想いを伝えるのに、緊張なんかしている場合ではなかったのでしょうか?単にステージの場数を踏んできたからじゃないと思うんです。だって、今回、東京での初ホールなんですよね?ワンマンの。

一昨年のツアーでは、PBBと和気あいあいと楽しみながらの、ある意味一体感が感じられたのですが、それは、彼女の緊張をほぐすために、バンドのメンバーがみんなで“見守っていた”所があったからなんだと自分には思えたんですね。でも今回の場合…これはある程度しょうがない事なのですが、PBB達とどこかよそよそしさが感じられたのは、言い方を換えれば、それこそ「~ARMY」じゃないですけれど、新谷良子がPBBを従えて、メンバーは各々の任務を遂行していたとも捉えられると思うんです。これは、それだけ周りの余計な気遣いが要らない位に彼女がフロントマンとしてステージをコントロールしていたので、PBBは各々の演奏に集中していたんだとも言えるのではないでしょうか。実際には彼女、ドキドキだったのかもしれないですけれどね。少なくとも自分には表面的にはそれを感じさせませんでした。

MCでも落ち着いていましたね。頭で考えながら話しているのではなくて、伝えたい内容が素直に言葉になっていた様に思います。

rykpnf.jpgそのMCでも言っていましたが、今回のパンフには、彼女自らの3rdについてのコメントが載っていたので、それが読みたくて自分も購入しました。これを読んだ後に3rdを聴き返すとまたより深く楽しめますね。
以前に自分はオリジナルアルバムにアーティスト自らの解説は付けない方がいいと言いました。誤解されないために、それについて補足をしたいのですが、ここで書くと更に文が長くなってしまうので、別のエントリーに書きました。こちらを参照して下さい。

今回ライブを2階席から観ていて、もしこれが、自分にとっての新谷良子のライブ初体験だとしたらどういう印象を受けたのだろうか?また、1階席で観れたら、印象はまた変わっていたのだろうか?とふと思いました。

31日のバースデイライブには自分は行けませんが、おそらくこの日よりもPBBとの一体感が強まったライブになるのではないでしょうか。

もしかしたら、既にどこかで語られている事なのかもしれませんが、良子の手にするエレキギターは彼女の“ロック”を象徴していて、それがZO-3からリッケンバッカーに変わった事が、彼女(のロック)の“成長”を表しているんだなと、今更ながら感じました。

あ、ちなみに今回、自分はライブ会場へは、ストライダにまたがって行きました。
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