音楽がいくらあっても足りない。

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10月21日は、木場の東京都現代美術館に大竹伸朗の「全景」を観に行き、その後、横浜・関内の「ストーミー・マンデイ」へ「ウンベルティポ・トリオ」のライヴを観に行きました。

東京都現代美術館の最寄りの駅があまり近くない事と、関内のライヴハウスだと終電を気にしなければいけない事もあって、今回この2箇所を自転車で行く事にしました。今回は距離がかなりあるため、ストライダではなく、GIANTの「WARP」に乗って。

それにしても大竹伸朗の膨大な作品数とスケールの大きさには圧倒されました。一つ、一つ鑑賞にひたっていると、あっという間に時間が過ぎてしまいます。これから観に行かれる方は、時間に余裕を持った方がいいです。自分は夕方頃に行ったため、閉館時間が近い事もあってあまり余裕を持って観る事が出来ませんでした。丁度、大竹氏とリリー・フランキー氏との対談も催されていたみたいでしたけれど、整理券配布が終了していたので、それは聴けませんでした。でももしそれを聴けたとしても、作品を鑑賞する時間が増々なくなってしまうから、どっちみち無理でしたけれどね。

氏の小学生時代の作文なんかも展示されていましたよ。

作品の中にDEVOをモチーフにしたものがいくつかあったので、DEVO好きの自分はつい微笑んでしまいました。

一風堂の「RADIO FANTASY」のレコジャケの絵「踊る人形~Dancing Doll」も展示されていました。下の写真はウチにあるその「RADIO~」のレコジャケと、FOEのレコジャケ(これも大竹氏によるもの)です。

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ちなみに「FOE MANUAL」の中にも、大竹氏の作品が載っています。

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「全景」を一通り観終えた後、WARPにまたがり、海岸通りを使って関内へ。
2時間位かかり、到着したのが夜8時過ぎ。ちょっと開始が遅れたみたいだったので間に合いました。

今回初めてストーミー・マンデイに入りましたが、狭かった~。自分がジャマで後ろの人が見えないんじゃないだろうかと気にしながら観てました。

ウンベルティポ・トリオのライヴは、あいかわらずカッコよかったので、これ以上言う事はありません。

その代わり、MCで出た話をここで少し報告。この翌日(22日)には、いよいよスタジオに入って、ウンベルティポのニューアルバムのレコーディングを行うそうです。出来るだけ早めにリリースしたいとの事。楽しみです。
また、来月発売される「吉田達也・今堀恒雄/territory」では、吉田さんがとにかく歌いまくっているそうです。今堀氏曰く「“デス声”で楽しそう」だそうな。初台DOORSで行われるその発売記念ライヴでは、今堀+ナスノのウンベルティポ・デュオももしかしたらやるかもって言っていましたが、「でも佐野っちがいないと演奏無理だな」とナスノ氏。「観に行きます」と佐野氏が一言。

そういえば、そのナスノさんがベースを務めるトリオ、アルタード・ステイツの「~plalys standards」のCDを大竹伸朗が気に入ったのがきっかけで、ギターの内橋氏に声をかけ、「内ダブ(内橋 vs ダブ平&ニューシャネル)」が実現したんですよね。
下の写真は、その「~plays standards」についてコメントする大竹氏の記事です。

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ライヴは夜11時数分前に終わり、自分はWARPを飛ばして途中自由が丘で食事に寄るも家に着いたのが深夜1時。そのあと風呂に入って、数時間後には早朝出勤だったため寝れませんでした。
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10月20日、初台DOORSで行われた4-Dのライヴが夜9時40分位に終了すると、自分はストライダにまたがり、スパークスのライヴが行われる渋谷の会場を急ぎました。
代々木公園の脇の道(何通りって言うんだろ?あの道)をひたすら下って、渋谷O-EASTに辿り着いたのが夜10時前後。下り坂も手伝って、約20分で到着しました。飛ばしたー。でも気持ちよかった~。ストライダ大活躍。

スパークスをオープニングアクトから観にきている方々には気の毒でしたが、時間がかなり押してくれていたので、割と最初の方から観る事が出来ました。

前半はニューアルバム中心、後半は過去の曲中心の、2部構成でライヴは行われました。

1部ではプロジェクターを使っての映像とのコラボレート。映像のロンと、生ロンの共演があったり、スクリーンに映るパイプオルガンの前で生ロンが弾くマネをしたりと、遊び心タップリの芸の細かさで、視覚的にも楽しませてくれました。

2部は名曲のオンパレード。スパークス・ショウのオープニングテーマに続いて、「Achoo」でスタート。こうしてライヴで通して聴くと、「This Town Ain't Big Enough For Both Of Us」と「The Number One Song In Heaven」が同じアーティストの曲だって事に改めて驚かされます。勿論、そこにはスパークスとしての一貫性があるのですが、視野の広さ、引き出しの多さ、表現の豊かさも感じさせます。
ラッセルの美声は健在でした。さすがはヴォーカリスト。それにしてもこの二人、自分が子供の頃から大人やっていたのに、こっちも今やオッサンになってしまったというのに、歳を感じさせませんねー。ロンなんか昔と全然変わらないし…っていうか昔からオッサン顔だったんだけれど(笑)。あ、でもラッセルの方はお腹がちょっと出てきてたかな。そういえば誰か観客でラッセルに向かって女性ものの下着を投げていましたが、あれって、ラテン系の歌手の、なんとかの貴公子のコンサートのマネですよね。

レッチリのジョンとアタクシアでも活動するジョシュが、感情的に、狂ったかの様にギターを弾きまくる姿が目を誘いました。スーツ姿でベースを弾くスティーヴもクールでカッコ良かった。

あと、最後にロンが「ダイスキ」とボソっと言ったのがかわいかった。

sprks1.jpgとにかくライヴは最高でした。前回の来日よりも良かったなぁ。普通、初めて生スパークスを目にした感激がある分、前回の方が良かったと思うもんですけれどね。それ位良かったって事ですね。でも欲を言えば「Tips For Teens」や「Upstairs」が聴けなかったのは残念だったなぁ。

写真は、前回来日した時に購入したスパークスハットです。

ライヴはアンコールも含め、日付が変わる数分前に終了しました。事前にウェブの告知で終電にお気をつけ下さいと記されていた事もあって、自分は自転車で行ったので問題はありませんでした。

【スパークスと私】

当時はまだ学生でレコードを沢山買える身分ではありませんでしたので、レンタルレコードをよく利用していたのですが、自分が住んでいた田舎のレンタルレコード店ではスパークスは扱っていなかったため、こづかいとバイト代でスパークスの中古レコードを買い集めていました。
自分はテクノポップの流れからスパークスに入ったクチですので、70年代後期~80年代の作品から集めていきました。ですので、この頃のはほとんどアナログ盤で持っています。

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自分が最初にスパークスを知ったのは、TVKのミュートマで(いや、ファントマだったかな?)、ちわきまゆみがお気に入りのPVとしてスパークスの「All You Ever Think About Is Sex」を紹介したのを見てからでした。ひたすらパイを浴び続けるロンの脇で、何事もないかの様に歌い続けるラッセルの様子が面白いPVでした。
歌や演奏が比較的簡単だった事もあって、この曲をバンドでコピーしたりもしてました。パイは浴びせられませんでしたが(笑)

今では懐かしい思い出です。

【今回、ハシゴをして思った事】

ライヴをハシゴしたのは今回が初めてだったのですが、会場の規模にもよるんでしょうけれど、間もない時間で別の会場に移動する感覚は、サマソニの様な、夏フェスを思い起こさせました。逆に言うと、ああいう夏フェスの様なライヴイベントは、疑似ハシゴにもなるのかもって、ちょっと思いました。

でも今回、夏フェスではなく、単独での来日でよかった。
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このブログにコメントをいただいた方からの後押しを受けた事もあって、思い切って10月20日に、4-D mode 1(@ 初台DOORS)→スパークス(@渋谷O-EAST)のハシゴを決行してきました。結論を言うと、して良かった。両方とも最高でした。

まずは4-Dを観に初台へ。

4-Dのフロントアクトに出演のアーティストは毎回アートパフォーマンス的ですが、今回の坂本宰+スズエリは、暗い会場の中を坂本がランタンの灯を灯しながら練り歩き、やがてステージに掛かる真っ白な幕に自身の影を投影し、吊るしたランタンを回したり揺らす事で、影が伸びたり、縮んだり、揺れたり、表情豊かに幕に染まり、まるでキャンバスに絵を描いているかの様でした。そこにスズエリのこれまたミニマムな(ミニマルじゃないよ)音が響き絡まり、心地良い空間が漂っていました。

続いて上野洋子の登場。横川理彦のヴァイオリンのサポートを受けながらの歌の披露。

そのまま引き継いで4-Dへ。上野さんは一旦退きます。

前回のライヴでは淡々かつ混沌とした印象を受けましたが、今回はエネルギーに満ちあふれた、躍動的な印象を受けました。こう毎回違った印象を与えてくれるから、4-Dのライヴはやめられない。

途中から、再び上野さん登場。ヴォイスでの共演で2曲披露されました。オケの笛の音(ね)が上野洋子っぽかったので、彼女の曲を4-Dがアレンジしたのか、彼女をイメージして4-Dが用意したのか、上野さんの曲を知らないので、その辺はちょっと判りませんでした。MCで上野さんが、成田氏とは20年振り、小西氏とは10年振り位だとおっしゃっていました。みなさん、歴史を感じますね。いや、いい意味で。

アンコールでは、横川氏によるヴァイオリンの先導でオーディエンス含めみんなから小西氏へのバースデーソングの合唱がありました。小西氏上機嫌。

それにしても、現在(いま)の4-Dって、ホン………ットにいいですね。
平沢ゲストの時より観客が少なかったのがもったいなく思えました。

アンコールが終了した後、自分は急いで愛車(笑)のストライダにまたがり、一路、渋谷のO-EASTへ向かいました。

話が長くなってしまいましたので、続きのスパークスは、また次のエントリーで。

写真右の4-DのCDは、ドクターウツノミア監修による先日の大阪でのライヴ音源と、横川、成田による4-D Elementsのライヴ映像、そしてロゴデータも入っているCDエクストラで、ライヴ会場で販売されていました。
…っていうよりも昨日からのBGMなんですけれど。

一昨日、TVで今年度の高松宮殿下記念世界文化賞の模様が放送されていまして、音楽部門で受賞したスティーヴ・ライヒを見ていたら、彼の有名な作品「18人の音楽家のための音楽」が無性に聴きたくなり、CDを引っ張り出してしまいました。

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自分は、現代音楽を聴いても、ほとんど「やったもん勝ち」位にしか思えない、理解力の乏しい人間ですが(苦笑)、この作品に関しては、理屈云々関係無しに、単純に気持ちがいいです。ヘタなヒーリングミュージックなんかよりもずっと心地がいいです。

ひたすら繰り返されながらも微妙に変化していくミニマル・ミュージック。

思えば、自分の好きなTORTOISEのアルバム「TNT」に収録の、マリンバ、ヴィブラフォンの響きが美しい「Ten-Day Interval」も、マリンバ、ヴィブラフォンが主体のミニマルなインストロックバンド、ザ・ディラン・グループも、このライヒの影響を受けているんですよね。

そう言えば、何年か前の同じ世界文化賞の音楽部門を、オーネット・コールマンが受賞した時はびっくりしたなぁー。
三角形フレームの折りたたみ自転車、ストライダの2007年モデルがどうやら登場したみたいですね。
よく調べていないので細かい部分で改善されているのかは判りませんが、通常のブラック、シルバー、レッド、ホワイトに加え、ネイビー、イエロー、オレンジ、パープル、ピンクと、カラーのヴァリエーションが増えました。

自分は2ヶ月前にこれの2006年モデルのシルバーを購入したばかりなのですが、ネイビーが出るのだったらもう少し待ってそれを見てから選んで購入したかったと悔しい思いをしています。だけど、ストライダを購入したらすぐ輪行したいと思っていましたので、あまり購入時期が遅くなると、秋の長雨や、雪の季節に入ってしまうため、待てませんでした。時間を買ったとでもいいましょうか。

また、海外では、ストライダのヴァージョン5.0が発表されたみたいで(自分所有のヴァージョンは3.2)、これまで弱いとされてきたペダル周り(BB周り)が材質、形状を変更し剛性さを増していたり、ラバーグリップやディスクブレーキ等の変更、オプションで中央部分にスタンドが付けられる様になったりと、性能面でかなり改善されているみたいです。もうこうなってくると、購入する側は、「いつまで待てばいいんだー(泣)」になってしまいます。

買うタイミングって難しいですね。少し待てば、新しいモデルが発表されるし、こういう自転車とか、またはパソコンなど、機能性、性能性が重要になってくるアイテムは特にモデルチェンジで大きく向上する場合があるし。でも待つとその間は欲しいアイテムを楽しむ事が出来ないわけだから、どこで手を打つか、見極めが必要です。
これが洋服の様なデザイン重視のアイテムになりますと、モデルチェンジにより好みでなくなる可能性もあるわけだから、比較的見極めは早いのかもしれません。これもまた、もしモデルチェンジした方がもっと好みのデザインだったら…と考え始めてしまうと、悩みは尽きなくなってしまうのですが。

あとは値段のタイミングですね。どこまで値下がりするかを見極めて購入するか。しかし、こればかりに気を取られると、売り切れになったり、生産終了になったりして、結局購入出来なくなる羽目になってしまいます。これで自分、欲しかったモデルのMP3プレーヤーを最近買い逃しています。

自分は男のクセに買い物は好きな方なのですが、すぐに飛びつくタイプではありません。そのアイテムを、自分は本当に欲しいと思っているのか、よく考えてから購入に踏み込むタイプです。ですから、街で一目惚れしたとしても、交通費がその分かかってでも、一度家で考えてから、翌日に買いに行く事なんてしょっちゅうです。
たまに自分のこの買い方には、いやになる時もあります。
時間を置いてじっくり考えれば失敗しない買い物が出来るのかと言えば、必ずしもそうではなく、結局無駄遣いになってしまう時だってあります。じっくり考えている間に欲しいアイテムを逃してしまう時だってありますし。

自分はローンを組まないで、現金で買い物をするタイプなのですが、これにも疑問に思う時があります。
仮に欲しいアイテムがあってそれを楽しめる有効期間が決まっているとします。ローンだと欲しい物がすぐに手に入るわけだから、その有効期間をフルに楽しめる。これが現金で購入するとなると、金額にもよりますが、現金を揃えている間に有効期間を消費してしまい、僅かな期間しか購入したアイテムを楽しめない事になります。
また、欲しいアイテムを欲しいと思ったその時に手に入れる事に意味がある場合、ローンだと、その現在(いま)の気持ちが尊重されるわけだから、現金を揃えている間に気持ちが冷めてしまうなんて事にはなりません。但し、気持ちが冷めてから、無駄遣いしなくて済んだと思える事もあるので、どちらの購入方法がいいのかは、これも場合にもよります。

買い物観は人それぞれだとは思いますが、結局、損だろうが、得だろうが、値段や時間等、価値をどこに置くかで、最終的に自分がそれに納得しているのであれば、それでいいわけですね。

今年の春頃に、ネットで見付けて購入した、ロンズデールのサイクリングシャツ。

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ネイビーがあれば本当はそっちの方がいいんだけどなぁ~と思いながらも、悩んだ末、購入してしまいました。
そしたら、その数ヶ月後に、ネットでネイビーが存在している事を知りました。

悔しいからネイビーも買いましたよ。

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でも、結局、グリーンの方が気に入っていたりして…
昨日、手塚眞氏の著書「ヴィジュアル時代の発想法~直感をいかす技術」を話に取り上げたのをきっかけに、この本をまた読み返しているのですが、著者の人柄が伺える、気持ちのおおらかさを感じる文の綴り方に改めて好感が持てます。

ブログをやられている方々の文章には、気の強さを感じさせる事が多くある様に思います。実際、皆さんが気の強い性格なのかどうかは判りませんが、それは自身の放つコトバに、自信と責任を持っているからだと言えます。公に読まれる場に自信のない事を書いていては、読まれる方々に失礼だからとも言えるでしょう。
また、文末に「~だ」「~である」を用いている文が多いのも、気が強く思えてしまう要因かもしれません。中には「~だ」「~である」を用いる事により主張を強く見せ、自己のコトバを守っている様にも思えます。
自分の場合、文が長かったり、カッコが多くて読みにくかったりでお判りだとは思いますが(すいません)、文章を書くのがヘタクソなため、「~だ」「~である」を用いてしまうと、かなりカン違いな文章になりかねないので、言葉遣いに気を付ける意味で、「ですます調」を用いる事にしています。これもある意味、自己のコトバを守るためとも言えます。ですます調でものを語ると、主張も和らぎますね。普段の自分を知っている友人達からしてみれば、このブログを読むと、ずいぶん違和感を感じているのではと思いますが。

手塚氏もこの本では「ですます調」で自身のコトバを綴っています。
「ですます調」は主張が和らぐと言いましたが、説得力に欠けるというわけではありません。これも使い方なのだと思います。「~だ」「~である」も使い方によっては威圧感をあたえ、反って説得力を欠いてしまう事だってあると思いますし。
「~です」「~ます」も使い方によっては、堅苦しくて窮屈に思えてしまう事もあるのですが、手塚氏はここで、ちょっといい話でも聞かせてくれるかの様な言葉遣いで誘い出してくれているので、リラックスして耳(目)を傾ける事が出来ます。様々な学者、思想家の話を例に盛り込んでもいるのですが、彼の言葉の使い方のやさしさから堅苦しさを感じさせません。

考えてみると、そんな手塚氏の様な紳士さを感じさせる文章に、自分は無意識に憧れを持ち「ですます調」を用いていたのかも…と、今回読み返してみて思いました。自分の場合、「~と思います」が多く、小学生の作文みたいで、似ても似つかないのが悲しい所ですが(苦笑)
先々月にストライダを連れて小諸に行った話をしましたが、そこで泊まったホテルのルームで、風呂上がりにTVを点けてみたら、「失敗学」なるものが放送されていて、つい見入ってしまいました。
その番組は、これまでメディアで報道されてきた様々な失敗により起こった事故、事件を取り上げ、なぜその様な失敗が起こったのかを検証し、同じ失敗を繰り返さないためにはどうすればいいのかを考察する内容でした。
そこで講師は、「失敗に対して責任追及ばかりが報道されがちだが、それだけではなく、どうしてその様な失敗が起きたのかの“原因究明”にも目を向ける事が、再発防止につながる」と唱えていました。
この話を聴いて自分は、小山田いくの作品で感じる事のある、「誰が犯人なのか」よりも、「なぜその様な事が起きたのか」を重点にしたストーリーと、同じものを感じました。しかも、それを小山田いく先生の住むこの小諸の地で感じるなんて。何たる偶然。

これを偶然と言うには、あまりにも都合の良いこじ付けになるのかもしれません。しかし偶然は、偶然ではないものよりも印象付ける力が大きいので、繋がりを持たせた方が、個々から受ける印象よりも、より強く心に残ると思うんです。

“偶然”を意識してみると、今まで数々の偶然により、現在の自分がある事に気付かされます。自分の知識や個性の一部を形成する趣味を一つ取ってみても、偶然がきっかけでハマったものはいくつもあります。重なった偶然がきっかけで友達になった人もいたりします。

vsljdnhssh.jpg手塚眞氏による著書「ヴィジュアル時代の発想法~直感をいかす技術」の中で、著者は「偶然をいかす事が才能であり、偶然こそが最大の発想テクニックである」と唱えています。
ただこれはタイトルにも示している通り“発想”のための本であって、自分の場合、直接クリエイティヴな事には何も活かされてるわけではないので、それとこれとを同じ“偶然”というキーワードで語るのにはあまりにも図々しく、こじ付けなのは承知ですが、少なくとも偶然を意識するきっかけにはなったので、ここでちょっと取り上げさせていただきました。

その「ヴィジュアル時代の発想法~」なのですが、この本を読み終えて間もない頃、たまたま街で手塚氏を見かけまして、その時たまたま友人に貸していたこの本を返してもらったばかりで持ち歩いていたため、運良くそこにサインをしていただく事が出来ました(決してその時、近くの本屋で買ってきたわけではありません)。何たる偶然。

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自分は大分遅く、大人になってから、自分の映画の見方の貧しさに気付きました。
それまで自分は映画を、子供な見方でしか観る事が出来ませんでした。

ここで言う子供な見方というのは、映画を観る時、誰が良い人で、誰が悪い人なのかを無意識に探し始めてしまう行為です。

子供と言うのは、何が良い事で、何が悪い事なのかがまだよく判らないため、“正義の味方モノ”など、子供番組を通じて判り易く教えられて覚えていくのだと思います(勿論、そこだけで教育されているわけではありませんが)。だから子供のうちはそういう見方をするのは当然なのですが、判断のつく大人になってからも、そんな見方でしか自分は出来ないでいました。

こういう見方でしか出来ないでいると、例えば…ジュリエット・ビノシュ主演の「嵐が丘」でストーリーを追っていくと…ヒースクリフは実は悪い人なのか…と思ったら、やっぱりいい人なんだ…と思い、あれ?やっぱりやなやつだ…いや、いいやつだ…などと、ストーリーを追うごとに振り回されてしまう羽目になります(笑)
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自分がそんな自分の映画の見方の貧しさに気付くきっかけになったのが、デヴィッド・リンチの作品を観てからでした。彼の作品のほとんどは、誰が悪者なのかは重要ではありません。いや、悪者としての存在は重要な要素にはあるけれど、それが否定/肯定の対象として捉えるのは、ここでは意味が無くなるのです。
自分はここで、たたみ掛ける様なテンポの気持ち良さを覚えましたし、夢を観ている時と同じ様な感覚も味わいました。

見る夢でたまに、わけ判んない時ってありますよね。なんでそれがそうなるんだ?って。でもそれって目が覚めてから思う事であって、見ている間は不思議に思う事なんて、まずありませんよね。映画もそうで、見ている間は何も現実の常識のつじつまに合わせる必要はなく、その世界に身を委ねればいいわけです。だから悪者探しなんて、現実の常識から生まれた尺度で追いかけるだけなんだから、ここでは関係なくなるんです。勿論、そこがとても重要になってくる物語はたくさんありますし、作品にもよるのですが、何もそういう見方だけが全てではないと言う話です。

それからです。自分にも、色や、空気や、テンポなど、いろんな見方で映画を観れる様になり、映画って面白いんだと思える様になったのは。

子供のうちから、そういったいろんな見方の出来た、柔軟な頭を持った方は大勢いるとは思いますが、自分は残念ながらそうではありませんでした。

またこの「悪者探し」なんですけれど、“悪者”という立場は、映画を観る側にとって感情の“敵”に回るのが普通だと思うのですが、そこから、「誰が味方で、誰が敵か」の“敵探し”に変換する事も出来ると思うんです。子供な見方でしか出来なかった自分は、私生活でも初対面の人に対して「この人は自分にとって敵なのか、味方なのか」と、無意識に心の中で思っていた節があったようにも思います。今はその辺、柔軟になったつもりではいますが。

今回、なんでこんな今更判りきった話を始めたのかと言うと、前回の「むじな」と「すくらっぷ」の頁で、「誰がしたのか」だけでなく「何でそうなったのか」にも目を向けると書いた時に、同じ“見方”から、ふと、この事を思い出したからです。
「すくらっぷ・ブック」を思い起こさせる小山田いく作の学園まんが「むじな注意報!」には、好きな話がいくつもあります。

担任の先生とその奥さんがかわいがっていたネコが家出をしてしまう「幸せな場所」、

謎のラブレターを主人公のむじなが受け取る「手紙上手」、

そして何と言っても、ゲスト出演と、それを描く作者による粋なはからいが感動的な「17年たっても…」

そんな中でも、謎のファックスが生徒の家に送られてくる「助けて」は、かつての「すくらっぷ~」にも通ずる小山田作品らしさがあります。

その話は、ある生徒の家に「助けて」と書かれた同じファックスが何枚も送られてくるのですが、結局誰がそのファックスを流したのかは解らないで話は終わってしまいます。

これと似た結末が「すくらっぷ~」にもありました。ある生徒が毎晩通り魔に襲われるのですが、その犯人も結局誰なのかは明かさず話が終わってしまいます。

犯人が解らないままで話が終わってしまうというのは、物語を追っている側としては、誰なのか気になって気持ち悪いと感じてしまうかもしれません。しかしここでは「誰が犯人なのか」よりも「なぜその様な事が起きたのか」に重きを置いているのです。

普段、ニュースで報道されている様々な犯罪でも、「誰がやったのか」にばかり目が行くのではなく、「なぜその様なことが起きたのか」にも関心を持つ事が、同じ犯罪を未然に防ぐためにも大事だという事に、これらの作品を読むと改めて気付かされます。
話の論点が多少しズレてしまったかもしれませんが。

【注】(念のため)ここでいう“「誰がやったのか」にばかり目が行くのではなく~”は犯人の情報公開を否定した意味ではありません。

[ブログ内関連記事]

>>すくらっぷ・ブック

>>「すくらっぷ・ブック」が復刊

>>「すくらっぷ・ブック」が27年振りに掲載

>>ストライダを連れて小諸へ

>>むじな注意報!


TV観戦出来なかったので、テキストでの結果でしか知らないのですが、
やりましたね。スコットランド代表。

試合内容は終始フランスに押されっぱなしだった様ですが、一つのチャンスをモノにし、よく最後まで守り切りました。

67分、ハートリーのコーナーキックを、俊輔のチームメイト、ディフェンダーのコールドウェルが足で合わせゴールを決めたそうです。

これで現在、スコットランドはグループ首位。

しかしこのグループにはイタリアやウクライナなど、強豪国が同グループにいるので、まだまだ道のりは厳しいです。

しかし今回、いくら試合内容は押されっぱなしとはいえ、フランス相手から勝ち点3を掴んだ事は、今後の自身にも繋がると思います。

それにしても今回、TV観戦したかったー(泣)
「すくらっぷ・ブック」終了以降、自分は、漫画から音楽に興味が移り始めた事も相まって、次作「ぶるうピーター」のはじめの方をチラッと読んだっきり、小山田作品にふれなくなってしまいました。当時の自分は「すくらっぷ~」と同じ世界観を次作にも求めていて、「ぶるう~」でのその違いに受け入れられなく、離れていってしまったのも理由にあります。作品の世界観が違うのは当たり前なんですけれど、当時自分はガキでしたので。

それでも小山田作品は常に気にはなっていました。本屋で週刊少年チャンピオンを目にすれば小山田作品を探し、今どんなのを描いているんだろうとたまに確認をしていたので、作品名は把握はしていましたが、いつかまとめて読んでみようとは思いつつも、なかなか手にする気にはなれず、そのまま十数年経ってしまい、自分も大人になっていました。

そして今からちょうど10年前、「すくらっぷ~」を思い起こさせる見覚えのある画風の小山田作品がチャンピオンで連載開始しました。
それが「むじな注意報!」です。

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このまんがは「すくらっぷ~」と同様に“中学校を舞台にした学園もの”“3~4頭身キャラ(さすがに2頭身はいない)”で、その作風の懐かしさから既に大人な自分もワクワク感に駆られ、すぐに飛びつき、単行本を揃えるまでに至りました。

中学生一人、一人の、それぞれに持つ家庭の事情や悩みに、転校生のむじな(無品 誠)が、心の手助けと言うか、一緒になって考え、解決のヒントになる様なものを差し出し、共に成長していくお話。実はそんなむじなも同じ穴のむじなだって事が後々に…(すいません、言葉の使い方間違っています)

過去の作品と似た設定の作品が登場すると、どうしても二番煎じの様な扱いになってしまい、「前作を越えられない」みたいに言われてしまいがちですが、同じ“小山田作品学園モノ”なので、懐かしさは感じても、やはり別モノなため、これはこれとして自分は楽しめました。話によってはむしろ「すくらっぷ~」よりも奥が深く、感動的だったりもします。

ここであえて表面的な違いをいくつか述べてみると…

「すくらっぷ~」では登場人物がみんな誰かとくっ付いてやたらカップルだらけでしたが、「むじな~」の方はそうでもない…って言うかみんな付き合うまでいっていません。

「すくらっぷ~」では、主人公が恋人に「何か夢中になるものを見付けて欲しい」と願っていた程、ほとんどの生徒がクラブ活動をしていたのに対し、「むじな~」では登場する生徒のほとんどがしていません。

また「すくらっぷ~」には内気で人と接する事が苦手な子がいますが、「むじな~」にも登場します。但し、「すくらっぷ~」の方は、今で言う“萌え”キャラなのに対し、「むじな~」の方では、根が暗くて(見た目は)目立たなそうな地味~なキャラです(でも実はこの子がまた個性が強くて、後に大変身を遂げる事になるのですが)。

それと「すくらっぷ~」と同じく、イタズラ好きなキャラが「むじな~」にもいますが、イタズラの質が違います。「すくらっぷ~」の方は茶目っ気のあるイタズラなのに対し、「むじな~」の方は相手を困らせてやろうとするちょっと悪質なイタズラです。これもまた人と上手く接する事が出来ない生徒の、寂しさ故なのですが。

…とまあ、違いを探せば当たり前ですがいくつも出てきます。別に違うからいい、だめとかをここで言いたいわけではなく、「むじな~」に興味の持っている「すくらっぷ~」好きのための、これは一つの参考です。

そんな「むじな~」にも、一話、一話読んでいくと、やはり小山田作品だなぁと思わせる様なストーリーが登場してきます。

話が長くなってしまいましたので、続きはまた次回。
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今度のは、十年位前に友人達に送った年賀状の原画です。

ドラマーの似顔絵はもうこれでネタ切れです。

[追記]
ニュース23を見ていたら、ゲストに出ていた小宮山投手に似ている気がしてきた。
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昨日、

ペーター・ブレッツマンの「マシンガン」を

中古CD店で見付けたので、

購入し、

聴いてみた。

・・・・・・

凄まじかった…

あまりの凄まじさに、

思わず笑ってしまった…

これって、不謹慎だろうか…



[追記]

ためしに



寝起きに聴いてみた。

・・・・・・

目覚めが悪くなった…

悪夢を観ているかの様だった…

昨晩笑ってしまった事に対しての逆襲を
翌朝に喰らわされたのかと思った…

(笑)
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